そう、新宿ルミネ店。
先日閉店してしまった。
決して売上が悪くて閉店してしまったのではなく、
先だってできたルミネエスト店への移転って感じか。
この店は僕がオープンから立ち会った店だ。
お台場から副店長としてオファー。
その時の店長と三番手のモッコリと
初めてルミネを訪れた時の事は今でも覚えている。
名曲喫茶らばうるでこれからどうすっかー?的に話していた。
基本的に荒くれ者でおなじみの店をもう少しターゲットを上げた
内容にしようと店作りはスタート。
タイトなスケジュールと大量の荷物の中、
2005年3月9日店はオープンした。
なれないルミネの流儀と
予想以上のお客さんにアタフタしながらの忙しい毎日だった。
とは言え、僕がこの店を去った後もお客様は毎年増えていったので
この頃の忙しいはまだ序の口であったのだけど。。。。
忙しくてもせめて飯くらいは余裕で行こうぜ、っていう
店長の方針で新宿は色々と食べ歩いた。
この時の食べ歩きを店長命令で綴っていたのが
「新宿と定食とオレ」という本。
これが後々に今でもたまに書いている
「俺ミシュラン」に続いている。
なんかこの前も僕の後に店に入った子から
「あ、本書いている人ですよね!」と微妙な認識をされていた。
どの店でもハプニングやら思い出はあるのだが
もちろんここでも色んな出来事があった。
バイトの連中が地下のゴミ捨て場で
どっかの店が捨てたパンをあけて食べているという
情報が入った時はこの貧しい世の中を何とかしなければと
こぶしを強く握ったものだ。
バックルームに入ったらリリーフランキー氏がいた事は忘れられず。
僕は僕と僕の家族に向けてサインをして貰ったのだが
残念ながら僕の母親は「誰?それ?」と。
その直後に東京タワーは本屋大賞をとった。
まだ売れ始めの頃の森三中もよく来てて、痩せてた頃の黒沢が
おススメのJAZZCDは何か?と聴かれ何かを適当にレコメンドしていた。
松本人志氏がふらっと現れた時にはスタッフ一同ザワザワ。
仕事が一杯一杯になり、なんかふがいなくてふがいなくて
図らずも悲しさがこみ上げてきて声をあげて大泣きした。
大人になってあんな泣き方をしたのは後にも先にもあれ一回きり。
首になりかけたバイトがいて必死に嘆願したり、
バイトの面接予定の日に全然違う子を面接して採用してしまったり、
色んな子が出たり入ったりで賑やかになってきた店。
そんな気のふれた仲間のおかげで
その年のクリスマスイブにその年最高の売上を出す。
そしてその夜に僕は店長になることが決まった。
僕が出た後も色んな店長やスタッフが店を盛り上げて
狭い店ながらも全国TOPクラスの売上を誇る店になった。
坪単価、回転率で言えば全店1だ。
そしてステキな事に閉店を迎える最後の店長を
僕がいた頃、よく奥さんと一緒に手作りのきなこクッキーを
持って遊びに来てくれたN君が勤めあげてくれた。
そういや当時の店長Yさんはマネージャーとして
店にいることがあまりなかったので
「この店はあんたが店長みたなもんだ。」
と言われていた。ま、たしかに仕入れも大部分仕切っていたので
もやは「あんたの店だ」とも。
っつう事でYさんがそういうんだから
つまり新宿ルミネ店は僕が礎を築いたようなもんだ!
うん、間違いない。
って事で閉店前にもう一度行かなきゃと
その日は仕事をパッと投げ捨てて閉店前に滑り込んだ。
オープン当初はこんなにスカスカだった店が
とてつもなくワサワサと楽しい事になっていた。
それは店で賑わうお客様が証明していた。
そこまで育つのに色んな人の悲喜交々が重なっていって
前の担当を乗り越えていって、良い店になって行く。
よく「前の担当に勝つ」とか「店長に勝つ」という表現が
されるが、僕はあくまで前任を先達として「乗り越える」
ものだと思っていて、その先達の良い部分をちゃんと見極め、
認め、踏襲して自分の思いを乗せていく。
前任を全て否定して全部を壊すご苦労なbitchも多い中、
皆さんがそれを続けていってくれたおかげ。
ホントにすごいなと遠巻きながら常々思っていたものだ。
朝、出勤して仕事前に屋上に行って
コーヒー飲みながら仰ぎ見る新宿の青空が好きでした。
漠然とした未来をどうにかなるさと楽観的に思いながら。
この店に呼ばれなかったら同期の中で最初に社員になることも
無かったかも知れないし、今いるここにもいなかったかも知れない。
改めて色んな人のおかげで生かされている。
ありがとうございました。